デイリーニュース

  • スノーデン捜索でボリビア大統領機が足止めに、2013年の騒動の内幕をジュリアン・アサンジが語る

    2013年、米国家安全保障局(NSA)の内部告発を行ったエドワード・スノーデンが香港からロシアに移動する際に、ウィキリークスのジュリアン・アサンジは重要な役割を果たしました。米当局によるスノーデンの捜索中、ボリビアのエボ・モラレス大統領を乗せた飛行機は、スノーデンが搭乗しているという誤った噂から、米国の圧力を受けたスペイン、フランス、ポルトガル、イタリアが自国の空域を閉鎖したため、オーストリアに14時間の着陸を余儀なくされました。なぜ同機が標的にされたのかの裏話をアサンジが語ります。

    dailynews date: 
    2015/5/28(Thu)
    記事番号: 
    4
  • 殺しのリスト:情報当局者のLinkedInアカウントをデータベース化した「ICWatch」 暗殺計画に関与した当局者の洗い出しに

    ウィキリークスは、Transparency Toolkitが作成したICWatchと呼ばれる新たなデータベースをホストしはじめました。同サイトには、諜報活動に関わる人々のLinkedInプロフィール2万7000件が検索可能なデータベースとして登録されています。作成者はこのサイトの目的は「監視する者を監視する」ことだと言います。ウィキリークス創設者ジュリアン・アサンジはこのデータベースについて、正式には「共同優先解決リスト」(Joint Prioritized Effects List/JPEL)と呼ばれる米国の「殺しのリスト」に関係する人物の洗い出しに使える可能性があると語ります。

    dailynews date: 
    2015/5/28(Thu)
    記事番号: 
    3
  • ウィキリークスが1978年の米外交電報50万点を公開 イランやサンディニスタ、アフガニスタン、イスラエルまで

    ウィキリークスは27日、1978年の米外交公電50万点以上を同サイトの米外交データベース公開ライブラリに追加しました。公開された文書には、ほぼ全ての国の在外米大使館および領事館で受発信された外交公電などの外交通信が含まれています。「1978年は、現在展開する地政学的要素の多くが進展した年だったのです」とアサンジは言います。「1978年はイラン革命が始まった年で……サンディニスタ民族解放戦線が支持を広げ……アフガニスタンの戦乱の時代は1978年に始まり、未だに終結していないのです」

    dailynews date: 
    2015/5/28(Thu)
    記事番号: 
    2
  • 「公判前の処罰」:ジュリアン・アサンジ、逮捕懸念し今も在英エクアドル大使館住まい

    5年前の今週、米陸軍の内部告発を行ったチェルシー・マニングは、クウェートで逮捕され、機密情報漏えいの罪で訴追されました。数週間後、ウィキリークスがアフガニスタン戦争関連の内部記録数万点を公開。これは米軍史上、最大級の漏えいとなりました。ニューヨークタイムズ紙、ガーディアン紙、シュピーゲル誌などが特集記事を掲載。当時はまだブラッドリーと名乗っていたチェルシー・マニングと、ジュリアン・アサンジは、瞬く間に有名人となりました。マニングは35年の禁錮刑に処された一方、アサンジは政治的亡命者として、過去3年を在英エクアドル大使館で過ごしています。アサンジはスウェーデンおよび米国で捜査の対象となっています。米国では秘密の大陪審が、アフガニスタン・イラク戦争の関連記録と米国務省の外交公電の公開に対するウィキリークスの関わりを調べています。スウェーデンではアサンジは、性犯罪容疑で取り調べを行うために指名手配されているものの、未だ訴追はされていません。「米国家安全保障局(NSA)の内部告発を行ったトーマス・ドレイクが良い例です。……公判前の手続きは、一般的な抑止目的と、処罰の意味がありました」とアサンジは言います。「ウィキリークスの件でも同じことが行われており、未だ正式な裁判がはじまらないため、被告人としての権利をわれわれは有さないのです。

    dailynews date: 
    2015/5/28(Thu)
    記事番号: 
    1
  • ジュリアン・アサンジ スウェーデン最高裁は逮捕状撤回を拒否 米国で捜査で新たな事実が明るみに

    ウィキリークスの創設者ジュリアン・アサンジは、政治的亡命者としてロンドン・エクアドル大使館の保護を受け、大使館内ですでに3年近く避難生活をしています。アサンジはスウェーデンと米国での捜査に直面しています。バージニアでの秘密大陪審は、イラク戦争およびアフガニスタン戦争に関する漏えい文書、ならびに国務省の外交ケーブルが暴露されたことについてのウィキリークスの関わりを捜査中です。また、アサンジはスウェーデンで、性的不品行容疑で尋問を求められていますが、告発はされていません。5月初め、スウェーデンの最高裁は、逮捕状撤回を求めるアサンジの訴えを却下しました。スウェーデンの検察官たちは、ロンドンに出向いてアサンジを尋問することを長年にわたり拒否してきましたが、ここに来て、そうする用意があると報じられています。

    dailynews date: 
    2015/5/27(Wed)
    記事番号: 
    5
  • ジュリアン・アサンジ リビアからの難民船に対する欧州の機密の軍事計画を語る

    ウィキリークスは最近、リビアからの移民流入を抑制するため軍事力を行使しようとする欧州連合の機密計画の詳細を暴露しました。ウィキリークスによると「この文書は、地中海全域の難民輸送ネットワークとそのインフラに対する軍事作戦に関するもので、移民と難民の輸送に使われる船をリビア領内で破壊し、欧州 に到達できないようにするための軍事作戦の詳細が書かれている」ということです。ウィキリークスの創設者ジュリアン・アサンジが避難しているロンドンのエクアドル大使館内で、この欧州連合の計画について論じます。

    dailynews date: 
    2015/5/27(Wed)
    記事番号: 
    4
  • ジュリアン・アサンジ: 英原子力潜水艦の内部告発者ウィリアム・マクニーリー 重大な安全保障上の欠陥を暴露

    スコットランドにある、核兵器システム「トライデント」を有する英国の核基地でのセキュリティ上の問題を暴露した英海軍の内部告発者が、5月初め約1週間の逃走の末逮捕 されました。ウィキリークスが公開した18ページの報告書の中で、ウィリアム・マクニーリー上等水兵は、「核の大惨事がいつ起きてもおかしくない。大変 ショッキングなことだ。それなのに、関係者は皆、一般市民への危険性を容認している」と書いています。マクニーリーは、原子力潜水艦内での火災、ミサイル室がジ ムとして使われていること、潜水艦衝突が隠匿された疑い、核基地の立ち入り禁止区域に、ほとんどのナイトクラブより簡単に入れるようになっているゆるい警 備について述べています。ロンドンのエクアドル大使館からの独占インタビューで、ウィキリークスの創設者ジュリアン・アサンジに、マクニーリーと彼が暴露した内容について話を聞きます。

    dailynews date: 
    2015/5/27(Wed)
    記事番号: 
    3
  • ジュリアン・アサンジTPPを語る: この秘密交渉は貿易を促進することではなく 企業による支配が目的

    TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)交渉が続く中、ウィキリークスは、米国とその他11カ国との間のグローバルな貿易交渉である、機密のTPP交渉案の漏えいされた部分を公表してきました。TPPは世界経済の4割を占める国々を対象とした交渉ですが、その詳細は公表されず秘匿されたままです。最近暴露された「投資部門」の文書は、ある国の法律で企業が主張する将来の利益が妨げられた場合、その企業が政府に対して訴訟を起こすことができる裁判所を創設するという、米国主導の交渉担当者たちの意図を明らかにしています。ウィキリークスの創設者ジュリアン・アサンジは、この協定が健康や環境への規制に及ぼしかねない恐ろしい影響について警告します。

    dailynews date: 
    2015/5/27(Wed)
    記事番号: 
    2
  • ジュリアン・アサンジ:米議会で延長が危うくなったNSAのスパイ活動 それでもNSAは秘密裏に続行する権限をもつ

    オバマ政権に米国民の通話記録を大量に収集する権限を与える、米国愛国者法(Patriot Act) が来週6月1日に期限切れに直面しています。上院で両党の議員たちが同法の期限を延長することを拒否したからです。共和党が過半数を占める上院は、まず、大量のデータを収集するNSA(米安全保障局)のスパイ活動を制御するため、政府ではなく電話会社が通話記録を保持するという、下院で可決された法案を否決しましたが、その後、現行のプログラムを2ヵ月間延長するというミッチ・マコネル上院院内総務の提案も否決しました。上院は現在休会中で、このプログラムが失効する前日の5月31日に再開されます。ロンドンのエクアドル大使館内に避難している、ウィキリークスの創設者ジュリアン・アサンジが、独占インタビューでこの状況について話します。

    dailynews date: 
    2015/5/27(Wed)
    記事番号: 
    1
  • 米国支援の暗殺から35年後、エルサルバドルのロメロ大司教の列福を30万人が祝福

    カトリック大司教のオスカル・ロメロは35年前の1980年、エルサルバドルの首都サンサルバドルでミサを行っている最中に、米国支援の暗殺部隊のメンバーたちによって殺害されました。30万人以上の人々が5月23日、彼をカトリック教会の「福者」とする列福式のためにサンサルバドルに集まりました。この列福は「聖人」への前段階とみられています。ロメロの列福には、右派の聖職者と政治家らが長年、異議を唱えていました。式典では、8人の助祭がロメロの血のついたシャツをガラスのケースに入れて祭壇まで運びました。ロメロ大司教は1980年3月24日、病院の礼拝所でミサを行っているときに胸に凶弾を受けました。暗殺を指示したのは、米国の支援を受けた「死の部隊」の指導者であるロベルト・ダビュイソンだったといわれています。ダウビュイソンは、米国が運営する「スクール・オブ・ジ・アメリカズ」 (School of the Americas)の卒業生で、右派の国民共和同盟(ARENA)を創設した人物です。作家で、カリフォルニア大学バークレー校のラティーノ政策研究センターの客員学者でもあるロベルト・ラバトに、サンサルバドルから話を聞きます。

    dailynews date: 
    2015/5/26(Tue)
    記事番号: 
    3

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