高木仁三郎の盟友マイケル・シュナイダーが語るプルトニウムの恐怖と平和利用のペテン

2011/4/14(Thu)
Video No.: 
9
17分

マイケル・シュナイダ―は、28年間エネルギー問題を追い続けている理由を「エネルギーの利用や生産が政治権力と結びついている」からだと説明します。もともとはドイツの反戦活動家で、良心的兵役拒否者だったと言います。社会奉仕活動を課せられた後、世界を渡り歩き、フランスに落ち着きます。しかし軍事問題への関心を持ち続けたシュナイダ―は、軍事用核と民生用核の問題に気づき、独自に調査を始めます。1992年以降、環境団体と協力して『世界の原子力産業現状報告』を発行、原発産業の動向を報告してきました。報告の中でシュナイダ―が一貫して指摘しているのは、原発産業は1980年代末にピークを迎えた斜陽産業だということです。しかし「原子力ルネサンス」は「安全神話」と共に世界中で喧伝されました。シュナイダ―は、「原子力ルネサンス」は権力構造を維持するための壮大な「誇大宣伝」であり「ペテン」だと言っています。効率的なエネルギー生産という名のもとに世界をだます「無用の長物」だと。半年後の2011年3月11日、日本でそれが証明されることとなりました。

1997年、シュナイダ―は原子力資料情報室の設立者高木仁三郎氏と共に「プルトニウムの比類なき危険性を世界に訴えた功績」でライトライブリフッド賞を受賞しました。プルトニウムに特に関心を寄せた理由として、シュナイダ―は、きわめて微量で核爆弾が製造できることとその放射能の毒性がきわめて高いことという2大特異性を挙げています。またプルトニウムが、ウランを燃料とする原子力発電所では必ず生成される「副産物」であり、放射性廃棄物としてのみならず再処理用として分離され、ひたすら貯蔵されていくことの危険を強く訴えてきました。高木仁三郎氏は著書『プルトニウムの恐怖』の中で、商業用プルトニウムの問題は、単に軍事転用が容易なことやその毒性だけにとどまらず、そのような危険物質を管理しようとする社会は、「極端な管理社会へと突き進むしかない」と述べています。

よく「持続可能な」(sustainable)と言いますが、そこには石油や石炭などの化石燃料が有限、つまり持続不可能であるという意味も含まれています。地球は物質の循環で生命を育んでいるのであり、その循環を助けているのが水と土と大気です。そのすべてを放射能で汚染する社会は、東京電力福島原発で起きたメルトダウンが起こらなかったとしても、着実に生態系をむしばむ社会なのです。

これに代わるものとしてシュナイダ―が提唱するのが、再生可能・分散型エネルギーです。原発が生みだす放射能は自然に戻すことができません。戻すことができないのに、「隔離すれば安全」という神話を作り、「核燃料サイクル」と名付け、戻しています。しかしそれを管理するのは人間であり、放射能だけを有機的な世界から完全に隔離することなどできるはずがないのです。

生物が必要としているのは「熱」です。どんな形態で生み出されても、生命を維持するために熱を利用できればいいのです。しかし、その生命維持活動が依存する地球の循環システムそのものを破壊するリスクを冒してまで、核分裂反応で熱を取り出す必要がどこにあるのでしょうか?

原爆を経験した日本人にとって核兵器の脅威はわかりやすいものでした。しかしそれがエネルギー開発に形を変え、「安全神話」というプロパガンダに包まれたことで、東京電力福島原発の事故に至るまで多くの人がその意図に気づきませんでした。

原子力発電は、権力者・科学者・メディアが繰り広げる一大ペテンなのです。「ありえない」とされた事故が起きたのであれば、その前提を否定するのが人間の知恵です。政府がそれをしないのは、シュナイダ―の言うように、エネルギー政策が権力と直結しているからです。原発の行きつく先は、破壊と抑圧であり、生命そのものを奪う社会です。また弱者を切り捨てることを前提としている政策だからこそ、被害者の私たちは分断せず、原発の廃炉を求め、再稼働や輸出に反対し、プルトニウムとの共存を強いられない社会にしていかなければいけません。

酸化プルトニウムの微粒子ひとつひとつを管理しなければいけないような世界を作ることは、生物の多様性への冒とくではないでしょうか。(桜井まり子)

*マイケル・シュナイダー(Mycle Schneider)パリ在住のエネルギー&原子力政策コンサルタント。プルトニウムの危険性を世界に訴えたとして高木仁三郎と共に 1997年のライトライブリフッド賞Right Livelihood Award in 1997を受賞。

Credits: 

字幕:桜井まり子/全体監修:中野真紀子/サイト作成:丸山紀一朗