フランスはハイチの「独立債務」を返還せよ

2010/8/17(Tue)
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ハイチは2011年5月現在も、死傷者約22万人、被災者370万人といわれた2010年1月の地震からほとんど復興していません。地震から半年後の2010年8月、著名な知識人らが「フランスはハイチに課した賠償金400億ドルをハイチに返済すべし」という公開書簡をガーディアン紙に掲載しましたが、サルコジ大統領は取り合いませんでした。ハイチの窮状が続く背景は何なのでしょうか。

1803年ハイチが独立すると、宗主国フランスは失った「財産」の賠償をハイチに求めました。「財産」とは奴隷のことです。ジャン・サン=ビルによると、賠償額は1億5千万フラン、当時のフランスの年間予算に相当する額でした。この賠償金支払いのためにハイチ経済発展はほぼ永続的に阻まれ、基本的な社会インフラの整備もままならないままに来ました。

たび重なる欧米の干渉が続いていることはもちろんです。ハイチが賠償金の返還をフランスに求めたのは今回が初めてではなく、2003年にもアリスティド大統領が返還を求めています。その1年後、アリスティド大統領は自宅から米軍によって拉致され、中央アフリカ共和国に連れ去られた後、いったんジャマイカに戻りましたが、ハイチへの帰国がかなわず南アフリカへの亡命を余儀なくされました。

欧米のマスコミはいっせいにアリスティド大統領が自発的にハイチを出たと報道しました。アリスティド大統領から直接、拉致の報告を受けた友人や米国の議員らが代表団を組織、拉致から2週間後に飛行機をチャーターしてアリスティド大統領を中央アフリカから連れ戻しました。デモクラシー・ナウ!のエイミー・グッドマンは代表団に同行、独占取材をしました。この時アリスティド大統領自身が「米軍に拉致された」と語ったほか、それを裏付ける多数の目撃証言があるにもかかわらず、ブッシュ政権は拉致の事実を否定し、大手メディアも同調しました。

植民地が旧宗主国から「独立」しても、真に自立することが決して許されない構図は2010年地震後のハイチを見ても明らかです。ハイチ復興支援基金の設立を発表するクリントン・ブッシュ・オバマ大統領の3人そろった映像は大きく報道されました。しかし「各国が国連に約束した復興支援金は2%しか届いていない」とジャン・サン=ビルは言います。国連報告書によると2011年2月の時点でも支払総額は約束の30%ほどにとどまったままです。2010年秋以降はコレラが急増し、数十万人が感染したと言われており、基本的な公衆衛生の整備も進んでいません。(桜井)

*ボックス・サンブー(Vox Sambou):モントリオール在住のハイチ人ヒップホップ・アーティスト。
*ジャン・サン=ビル(Jean Saint-Vil):オタワ在住のハイチ人作家、活動家。

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字幕翻訳:桜井まり子/全体監修:中野真紀子