フレッド・ハンプトンの死 FBIとシカゴ市警によるブラックパンサー暗殺

2009/12/4(Fri)
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24分

 1960 年代末、社会正義を求める米国の市民運動は疾風怒濤の時期を迎えていました。リベラルな白人たちをもまきこんだ人種差別撤廃運動は1964年の公民権法制定で輝かしい勝利をおさめましたが、1968年のマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師の暗殺やベトナム戦争など米国社会が抱える暴力は若者の怒りと不満を掻き立てました。中でも都市部のゲットーでは差別され職も希望も奪われたまま貧困にあえぐ黒人の若者たちが暴動を起こし、警察の暴力に直面していました。自分たちが手にしてもいない米国の「民主主義」を海外にもたらすためベトナム戦争のもっとも危険な前線に真っ先に送られるという理不尽な矛盾も彼らの怒りをあおりたてました。

 そんな中から生まれたのが、ブラックパンサーの運動でした。黒い豹をアイコンにし黒人であることを誇りとするエネルギーあふれる黒人の若者たちの運動は、カリフォルニア州のオークランドで生まれ、またたくうちに全国各地に広がりました。当時第3世界で勢いを得ていた革命運動と民族の自治に向けてのエンパワメントの動きに刺激され、自己防衛のための武装を辞さず、コミュニティに浸透していくブラックパワーの運動は、「治安」の維持を至上命令にするFBIや検察・警察当局にとって許しがたい脅威でした。FBIでは1950年代半ばからコミュニストつぶしをめざしてCOINTELPROと呼ばれる秘密プログラムを企画しました。いかなる汚い手を使ってでも「反体制」のめざわりな組織をつぶすことを目的にしたこのプログラムは、その後、マーティン・ルーサー・キング牧師をはじめとする公民権運動とその指導者にも向けられましたが、1960年代末には、ブラックパンサーが主な破壊のターゲットになりました。

 FBIは警察と提携し、パンサーのメンバーに攻撃を仕掛けしましたが、中でもCOINTELPROのきわめつきの犠牲者となったのが21歳のフレッド・ハンプトンでした。パンサーのシカゴ支部のリーダーだったハンプトンは、人種を超えた連帯を説き、また社会的階級を超えてスラムのギャングとも大学教授とも話をしたばねることができるカリスマ的なパーソナリティの持ち主でした。FBIはこの危険人物をつぶすためにパンサーに情報屋を送り込みます。ハンプトンと恋人が寝るベッドの位置まで正確に記したアパートの図面を警察に渡し暗殺をそそのかしたのです。パンサーがもつ武器の手入れという名目で実はハンプトン殺害を意図した手入れを計画し仕切ったのは、パンサーつぶしで点数をあげ未来の市長当選をもくろむ野心家のハンラハン検事でした。警察は、裏切り者により薬をもられて立ち上がることもできないハンプトンを深夜4時すぎに奇襲して無抵抗の彼を至近距離から射撃し殺害することに成功し、さらに銃撃戦のうえ死亡者が出たというまっかな嘘のストーリーをでっちあげ違法な殺害の正当化に努めます。だが、正義感に燃えた弁護士たちのねばり強い調査で当局の化けの皮は次々にはがれていきました。

 番組では生前のハンプトンとも面識があり、理不尽な裁判でいくども苦杯をなめながらも、事件の真相を追い続けた弁護士のジェフリー・ハース氏が40年前の事件とその顛末を明らかにします。(大竹)

★ DVD 2010年度 第1巻 「公民権運動」に収録

*ジェフリー・ハース:
1969年にシカゴで民衆の法律事務所を{People’s Law Office }を共同創設。フレッド・ハンプトン殺害を引き起こした手入れを指揮したハンラハン検事ほかを告訴した「ハンプトン対ハンラハン」裁判の原告側弁護士。著書にThe Assassination of Fred Hampton: How the FBI and the Chicago Police Murdered a Black Panther(『フレッド・ハンプトン暗殺:いかにしてFBIとシカゴ市警が1人のブラックパンサーを殺したか』)。

Credits: 

字幕翻訳:大竹秀子/校正:斉木裕明
全体監修:中野真紀子・付天斉