コロンビア大学紛争から40年 当時の学生リーダー4人が振り返る

2008/4/25(Fri)
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45分

ジェームズ・クネン原作の映画『いちご白書』にも描かれ、一連の学園紛争の中でもとみに有名なコロンビア大学の学生ストを振り返ります。地元ニューヨークの大学であり、フアン・ゴンザレスが当時の学生リーダーの1人だったこともあって、同窓会的な雰囲気のなかで内輪の話がたっぷりと聞けます。

1968年4月末、ニューヨーク市のモーニングサイドハイツにあるコロンビア大学のキャンパスで数百人の学生がストライキを起こしました。学生たちはロウ図書館棟にある大学本部など5棟の校舎を占拠し、バリケードを築いて数日間にわたって篭城しました。

ストライキの理由は、コロンビア大学が国防総省と共同で軍事研究を行っていることへの反発と、隣接するハーレム地区の公園を、大学がニューヨーク市から買い取って体育館を建設する計画を、当事者である住民の頭越しに進めていることへの抗議でした。

ベトナム戦争への反対に加えて、ハーレムの地域社会の抗議運動と結びついたのが コロンビア大学の紛争の特徴でしたが、その3週間前にキング牧師が暗殺されており、アフリカ系アメリカ人社会では義憤が渦巻いていたという背景も見逃せません。

現在へのつながりの点では、コロンビアのような都市型の大型私立大学による土地開発の問題があります。教育という美名に隠れて、じつは営利目的のためにさかんに周辺の土地を買いあさり、巨大地主となって地域問題を引き起こしていることに、いちはやく注目した運動でもありました。

この当時からコロンビア大学が暖めていたハーレム地区への進出計画は、現在は形を変えてバイオセンターの開発というかたちで40年後に実現しつつあるそうです。

大学研究の戦争協力という問題も、民間の軍事研究機関への投資というかたちで「外注化」されただけだとの指摘もあります。徴兵制度も廃止され、現在の学生にとっては戦争との直接の関係がみえにくくなっているのが、イラク戦争に対する反対運動が当時に比べてもりあがらない原因だろうと、現在の学生の一人は述べています。(中野)

★ DVD 2008年度 第2巻 「1968年と今」に収録

* フアン・ゴンザレス(Juan Gonzalez) デモクラシー・ナウ!の共同司会、『ニューヨークデイリーニュース』のコラムニスト。1968年にはコロンビア大学で最終学年を迎えていた。民主的な社会のための学生連盟(SDS)のメンバーで、当時のキャンパスでは数少ない中南米系の活動家だった。

* ウィリアム・セイルズ(William Sales) シートンホール大学のアフリカ系アメリカ人学科の元学科長。1968年当時、アフリカ系学生の組織アフロアメリカン学生協会(SAAS)のコロンビア大学におけるリーダーだった。

* ガスティン・ライシュバック(Gustin Reichbach), 1968年にはコロンビア大学のSDSの中心人物の一人だった。現在はブルックリンのニューヨーク州最高裁判所の判事。

* トム・ヘイドン(Tom Hayden) 民主的な社会のための学生連盟(SDS)の創始メンバーの一人で、「ポートヒューロン宣言」と呼ばれる同団体のマニュフェストを起草した。コロンビア大学の学生ではなかったが、学内占拠に参加した。多数の著書があり、最新刊は『民主的な社会のために トム・ヘイドン読本』。

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字幕翻訳:大竹秀子 / 校正:桜井まり子
全体監修:中野真紀子